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東金から観光しながら徒歩で大網駅を目指す

東金から観光しながら徒歩で大網駅を目指す 旅行
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どうもでございます。

ばすてい(@morosaredo)です。


東金気まま散歩。

前回はこちら(前回の記事を読まなくてもこの記事は読めるようになっています)。


朝食は地元の名店「木村屋」で

朝食は「木村屋ベーカリー」で購入。

1926年創業の、地元で長年愛されるパン屋さんです。


コロッケパンメロンパン

なかなかお手頃なお値段でありがたい。


もちろん味も抜群!


コロッケは美味いし、パンはフワフワ。

メロンパンもクッキー生地がサクサクしていてうまーい。


なんか、パン屋さんのパンって優しい味がする。


心がポカポカする……。


八鶴湖の向こうにお寺があるのを発見。

行ってみましょう。


江戸時代の基礎を作った!?「最福寺」

「最福寺」というお寺だそうで、807年(大同2年)に最澄によって創建されたとのこと。


最福寺の住職であった日善上人は徳川家康と交流を深め、たびたび会談を行っていたらしいです。


案内パネルによると、徳川家康に「大坂冬の陣・夏の陣」を決断させた要因のひとつは、日善上人の進言だったと書かれています。


この銅像はその密談(二人だけの密室での会談)の様子を想像し再現したもの。

この場面こそ、約265年間 戦のない「江戸時代」の基礎を作った瞬間と言えるかもしれません。


そして、個人的に感動したのが「4代目伊三郎」のお墓

有名な歌舞伎の演目、『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)の主人公のモデルとなった長唄演奏者です。


『与話情浮名横櫛』……千葉県 木更津で偶然出会った与三郎とお富は互いに一目惚れし、恋に落ちる。しかしお富は、地元ヤクザの親分”赤間源左衛門”の愛人であった。

2人の関係はすぐに露呈し、与三郎は全身をメッタ切りにされ、お富は海へ飛び込んで逃亡。お互い一命は取り留めたが、離れ離れになる。

数年後、町のごろつきとなった与三郎は鎌倉の町でお富と再会し……。


『与話情浮名横櫛』 初演時に製作された役者絵(パブリック・ドメイン画像を引用)

モデルの人物がいたことは知っていましたが、まさか東金の出身だったとは。

以前から『与話情浮名横櫛』に思い入れがあったので、偶然お墓を見つけてかなり感動しました。


私が『与話情浮名横櫛』を知るきっかけとなったのが、1954年に春日八郎さんが歌った「お富さん」という曲。

この物語をテーマにして、大ヒットさせました。良い曲。


さて、しっかりお参りも済ませ、お寺を出てきました。

これからどうするか。


とりあえず今日が最終日ですので、東京方面へ歩くことにします。

東金駅の2駅隣である「大網駅」を目指しつつ散策することにしましょう。


相変わらずマップは無し! 頼れるものは己の感覚のみ。


東金から大網駅を目指して

昨日は海を目指したためずっと平坦な道だったわけですが、今日は内陸、山の中を歩きます。

疲れるぞ絶対……。


少し歩いた先に、東金ダム(ときがね湖)を発見。

1994年完成の比較的新しいダムです。


約100km離れた利根川から水を引いており、南房総地域や京葉臨海工業地帯の重要な水源となっているとのこと。


東金ダムより低地にある利根川から水を運ぶために、約38kmの途中でポンプを使って水を3回上にポンプアップしています。


茨城県の霞ヶ浦のほうから、坂を上ってはるばるやってきた水がここに溜まっていると考えると感慨深い。



その後はひたすら歩く……。


歩く……。


また水辺に出ました。

この辺、池とか湖が多い。


江戸時代初期の1614年(慶長19年)に作られた雄蛇ヶ池(おじゃがいけ)という池です。


青森県にある十和田湖に形が似ていることから、「房総の十和田」と呼ばれているらしい。


わ、わからん……。

昔は似ていたのかもしれない。


雄蛇ヶ池を後にし、またひたすら田畑の中を歩く……。



しばらくして、道中に「源太祠」と書かれた祠を発見。


「源太ってなんだ?」と思い調べてみると、この祠は地元の大ヤクザ 山本源太左衛門が亡くなった場所とのこと。

彼を慕った民衆によって作られたものだそうです。


山本源太左衛門さんは、地元の顔役として人情に篤い人だったようですね。




……山本源太左衛門?


似たような名前をどこかで……。


そう、山本源太左衛門は『与話情浮名横櫛』に出てくるお富の旦那、赤間源左衛門のモデルとなった人物。


何の因果か、与三郎と源左衛門、二人の墓と祠を同じ日に偶然発見してしまったのです。

こんなことあるんだ。


住宅街に出た

謎の奇跡にビビりつつ、大網駅へまた歩き出します。


すると今度はこんなものを発見。

異様にデカい石碑に「宮谷県廰跡(みやざくけんちょうあと)」と書かれていますね。


「廳」というのは「庁」のY食う事態であり、役所を意味します。

つまりこの石碑は、ここが宮谷県の役所跡だということを示しています。


「宮谷県?w そんな県ないんだがwww 寝言は寝て言ってクレメンスwwwww」

と思ったそこのアナタ!


実は千葉県はもともと、宮谷県という名前だったのです……!


1989年(明治2年)、上総(かずさ)・安房(あわ)・常陸(ひたち)の一部を含む地域をまとめて、宮谷県誕生。


その2年後に廃藩置県が行われ、県の区分が変更。

宮谷県は消滅しました。


約2年の短い期間ですが、関東の重要な機関として存在した「宮谷県庁」。

石碑のすぐ裏にある「本国寺」が宮谷県庁の建物として使われたそうです。


午後4時前、JR大網駅に到着。


歩ききりました!


おわりに

というわけで、「2泊3日 東金散歩」でした。


歴史的に面白いものがたくさん残っていて、3日あっても見きれないほどでしたね。

東金、奥が深い……。


関東在住の方は、ぜひ散歩に行かれてみては……。



今回の散歩ルート



声に出したい日本語、雄蛇ヶ池

 


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