パンスペルミア説【ほぼ週一雑記45】(8月21日~8月27日)

パンスペルミア説【ほぼ週一雑記45】(8月21日~8月27日) 日常
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※この記事は、旧ブログ「森林館」に投稿したものの再掲になります。基本、文章の変更はありませんが、一部カットしている部分もあります。


ほぼ年一雑記へようこそ!


なんていう、しょうもない小ネタが言えるほど更新が滞っているこの雑記シリーズですが、またやれる範囲でやりたいと思います。


↑詳しいことは、モロサレドにアップしたこの記事に書きました。読みなさい。


以前と比べてかな~り薄っぺらい感じになってしまう可能性は高いですが、まぁ暇な人だけ見て行ってください。


Wikipedia探訪記

生きているうちに絶対に出会わないだろ、みたいな物事のWikipediaを読むのが好きだ。


たとえばこういうの。


パンスペルミア説 – Wikipedia

パンスペルミア説。

人類は地球ではない宇宙のどこかで誕生し、それが地球に飛来したという考え方。


なんだそれとは思うが、大昔からある考え方のようで、今でも「100%間違い」とは言い切れないらしい。


大昔の話とか宇宙の話みたいな、確かめようもない大きな話ってロマンがあって面白い。


でもなんだそれとは思う。


なんちゃっておじさん

こちらもWikipediaを巡っていて出会った言葉。


なんちゃっておじさんは、1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)にかけて東京都の電車車内に出没して乗客たちを笑わせたといわれる中年男性。当時の深夜のラジオ番組の投書を始めとしてテレビや雑誌などでも取り上げられ、日本中で社会現象と呼べるほどの大ブームとなった。実在の人物かどうかは諸説があり、日本の都市伝説の一つとして語られることもある。

(引用 : wikipedia)

面白すぎる。何してんだ。


あゝ上野駅

あまり鉄道に詳しくないこともあり、若干ミーハーっぽい感じもあるが、私は日本の駅で上野駅が一番好きかもしれない。


主に高度経済成長期に活発に行われた”集団就職列車”の運行。これがなんといっても上野駅の大きな魅力の一つだろう。


ちなみに、初めて集団就職列車について知ったのは、井沢八郎の「あゝ上野駅」を聴いたとき。100点満点の哀愁。


軽く集団就職列車について書いておく。


高度経済成長期、工場を建てまくってとにかくたくさん物を製造するぞ!という時代。


今みたいに便利なパソコンもインターネットもない時代なので、とにかく労働者を多く必要としていた。


そこで田舎のほうで育った若者たちは、工場のある東京へと働くために汽車でやってくる。そのため国鉄(現JR)は、春先に学生専用の”集団就職列車”を運行した。


上野駅からは東北方面へと線路が伸びているため、東北地方の学生たちはここ上野駅で、憧れの大都会東京の地面を踏むこととなったのだ。


このように映像も残っている。

故郷を離れて東京へやってきたこの若者たちの多くが、汗水を垂らして働き、今の日本を作り上げたということを再確認した。


その辺にいる老人とかにも、こういう時代があったんだろうなと思うと改めて敬意を表したくなる。


それと同時に、北の玄関口であった上野駅に来ると、そういった歴史を体全体で感じて何とも言えない身震いがする。 


上野駅のホームには、岩手県盛岡市出身の詩人 石川啄木の歌碑が建てられている。


「ふるさとの 訛なつかし

停車場の 人ごみの中に

そを 聴きにゆく」


上野駅のホームの天井には、当時蒸気機関車が吐き出した煙のススが今でも黒く残っている。


浅草

浅草に行った。やはりあの辺の街の空気感、好きだ。

浅草十二階が残っていたら定期的に見に行ってただろうなとか考えてしまう。


商店街のアーケードの切れ間にスカイツリーが見えたとき、昔はどんな景色だったんだろう、などと考えてしまった。

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